酔いがまわったときの脳と体の働き

2018-07-06

めまいの原因

飲んで酔いがまわりはじめたとき、たちまち眠りだす人がいます。心地よく酔ったまま、終電をうっかり乗りすごす人もいます。

この、飲兵衛が酔って眠りにはいる状態とは、生理学的には脳に「α波」がでている状態である解釈されています。α波というのは、人が眠った状態にあるときでている脳波のことですが、かならずしも睡眠中だけでなく、目を閉じている状態でもおこることがあります。

α 波がでるのは、人の精神がもっとも安定した状態のときとされますが、要するに脳がなにも考えぬままのめいてい状態です。

酩酊したとき、飲兵衛はしばしばこの状態になります。ひたすら安寧の境地にはいる状態がこのα 波のためだという説もあります。つまり、禅僧たちが悟りをひらくために修業するのもこれでだというわけです。

だとすれば、悟りをひらくためには飲んだほうがはやいのではないか、というへ理屈も成り立つと思われるかもしれませんが、じつはアルコール摂取時ではそうもいきません。

ふだんわれわれが酒を飲んでいるとき、たいていの場合、意識が空白になります。( α 波がでる)のはきわめて短時間です。飲むきもちのあるうちは、再度グラスに酒を満たす。無意識のようにみえながらもちゃんと意識がはたらいており、このような状態では、たちまち脳披はα 波からβ 波にかわっています。「β 波」というのはさめた大脳の活動の状態、すなわち、あくまで精神活動が持続している状態のときにでている脳波です。

飲むときには、最初の段階ではβ 波だけがでています。それが飲むにつれアルコールの麻酔作用により大脳皮質のはたらきも弛緩します。

徐々に精神活動そのものが低下しはじめ、やがては眠りのパターンにはいります。この間、脳内ではβ 波とα 波がいそがしく飛び交いはじめ、ついにはα 波のほうが勝つことになります。

この現象、大飲した場合には傍目にもわかります。これを「アルコールによるα 波の賦活」といいます。ただし、アルコールの麻酔作用によるα 波の出現は、つねに一過性のものであって、また意識的に呼びおこすことはかなり困難です。

つまり、悟りの境地を拓く代用物とは残念ながらなりえないのです。さらに、β 波と亜α 波が交互にではじめたときから、時間的観念の喪失がはじまります。

からだが眠っているときには時間の経過を感じません。一般に、愉しみと感じる時間は不快と感じる時間より短く感じるとされるのですが、酔ったとき時間がたつのをはやく感じるのは、このα 波の関与もあってのことです。そこで、おや、もうこんな時間かと思たときは、からだそのものがいやしを求めている時刻だということになります。

つまり、生理的欲求が示す飲酒の切りあげどきということです。このように、飲兵衛のふだんの酔態には、さまざまなものがあります。

アルコールの影響がまずあらわれるのは大脳のはたらきです。司令官たる大脳皮質が酔っ払えば、当然兵隊どもである神経系の士気も乱れ、風紀が乱れるのは当然です。

アルコールの麻酔作用がよりすすむと、理性を支配している新皮質とともに、もっと根源的な情動・本能的行動を支配している旧皮質がこぞっての大宴会になります。
たちまちにしてふだんは抑制されていた感情がとき放たれて、勝手に「おどりだす」のです。これが泣き上戸、怒り上戸の出現です。

ついでアルコールの麻酔作用は大脳皮質の運動野(領域)から小脳におよび、その作用はさまざまな分野にあらわれます。手が乱れ、足がフラつき、目がまわります。
これらはすべて大脳中枢部のマヒに原因があった。ところで、飲兵衛にこのような酔態がみられるのは、宴会の場や、仲間といっしょに飲むような場合です。一方、ひとりで飲むときにでやすい症状といえば、めまいです。そこで、そのめまいを再度、机上にのせてみましょう。

かつて医学界でなされた古典的定義を紹介すると「めまいとは、身体の空間に対する定位が、そのあるべき状態と異なっていると感じ、みずからがそれをあるべき姿に回復しえずに不快と感ずる自覚症状」となります。

ひらたくいえば運動感覚・位置感覚などの異常のことになる。こワープロで「めまい」を漢字変換させると「眩暈」とでます。
この「眩」なる字は、本邦最古の漢和字典である「和名類聚抄」によると、メクルあるいはメルヤマイと読みます。いうなれば目前のものがゆらりゆらゆら揺れうごいて安定しないさまをあらわすことばです。

メクルめくあの高揚感もルーツはヤマイであったわけです、このカラクリがようやくわかりはじめたのは、1861年のメニエールの発見(メニエール病)以来のことです。

それ以前、わけもわからずめまいに悩まされた天才著名人は意外に多いのです。ルター、スウィフト、ゴッホ、ゲーテ、ボードレール… 。
これらの鬼才天才たちも、やはりわれら飲兵衛の仲間であったのでしょうか

飲兵衛が感じることの多い浮動感・動揺感、昇降感・身体下降感、転倒感などの「非回転性のめまい」のことはディッツネス(dizziness)という。飲んだときの眠り、めまい、いずれも悪酔いではない。このような現象がおきるのは、むしろその人のこころが、アルコールによって深く解放された状態とみなせる場合に多いように思われます。

だが、そのような現象は、親しき友との語らいの場としてのにぎやかな飲酒より、ひとりしみじみと酒を味わう場ででやすいように思います。

では、位置感覚をメタルめく思いのほうに移すと、どうでしょうか?

アルコールのもつホレ薬効果とは?

洒を飲む場所として、男たちが一般に自宅より酒場、ないしはそれと同様の設備のあるホテルなどを好む最大の理由は、酒や肴そのものではなく、結果的にはたとえかなり高くつくことになっても、それにみあうだけの非日常的な世界が提供されるためです。

非日常的な世界を好む理由のなかには、もちろん、仕事や家庭でのわずらわしさを避けたいと願うきも気持ちもあるのですが、それ以上に「男心」をそそるなにかを期待するためでしょう。

このなにかのうちでもっとも大きいのは、簡単に言えば、男と女のラブゲーム、つまり「恋」の芽ばえや進展でしょう。

これは自分のかたわらでサービスにつとめてくれる女性がいる場であろうが、ふたりで誘いあわせて行った場であろうが、基本的には同じです。もっとつきつめていうと、アルコールのもつ口説きの場としての効用です。

つまり、これはアルコールという飲みものが、自分だけでなく相手もその気にさせる、いや、もっと気をそそらせる作用をもつハズだという前提があるのです。

ということは、男女が洒を飲むときには、この口説き(もっと直裁的にいえばセックス) との関連を取りあげないと、片手落ちだということになります。

オンナと語るお酒の場は、やはり酒杯を片手に、暗い紅灯の下が格好の場となります。目くばせひとつで意の伝わるマスターのいる、なじみのスナックやあるいはホテルのラウンジなどで、肩と肩、膝と膝を寄せあわせ、吐息、心音までをも通いあわせる風物は、万国共通のスタイルといえるでしょう。

いやこれもアルコールならではの精神の癒しの行為です。が、これらの行為はおおむねが次の行為への「前奏曲」なのです。
別の魂胆あってのことが少なくないのですが、アルコールのもつ方面での賦活作用というのは、はたしてどの程度のものなのでしょうか。

ありていにいって、アルコールとオンナとセックスの関係はどうなっているのでしょうか。このメクルめくおとこの恋ごころといえるでしょう。週刊誌や夕刊紙がこぞって書きはやす暗き紅灯の下でのオンナをくどく行動にはどういった効果もたらすものなのでしょうか?

小説でも映画でも、ドラマのなかでは、アルコールは必須の小道具です。男がいて、女がいて、そしてアルコールがあって、はじめて口説きの場面となります。

アルコールの摂取には精神の賦活作用があって、日常的な世界ではおさえられていた大脳皮質の活動をときはなちます。つまり、感情面での「邪魔な規制」がとりのぞかれるので、いうことなすことが大胆になるのです。そこで、根源的な欲望であるセックスの側面が顔をのぞかせます。しかし、このような精神の発散は、日常的な世界 において野放図にやるとなにかとトラブルを生みやすいのも事実です。やはり、精神発散の場は非日常的なハレの世界にかぎるということになって、こればかりは景気の変動などとは無関係に、また本人の懐ぐあいに多少のムリをさせてでも、プレイゾーンないしはそれに似た場をにぎわせることになるのです。

たしかに、アルコールには媚薬効果がないとはいえない。飲むとたいていの人は気が大きくなります(または精神的反応が過激になる)。

説明するまでもなく、この現象は男女を問わず飲兵衛なら、だれにでもおこるものです。飲酒は、むかいあった気のおけない男女のあいだで、会話や行動をスムーズにする。「イイ関係」を求めての口説き文句も、飲みながらのものであれば、多少のいきすぎがあっても「酔ったせいでついつい… 」と、いいわけできるでしょう。

また、たとえそれが意図的なものとわかっていても、「お酒の場」での行為だから、と相手のほうもあまりしつこくとがめるようなことはありません。

シラフだとこうは問屋が卸しません。もてない男がバーやクラブに通う理由も、これであることはいうまでもないでしょう。

どんなずうずうしい男でも、シラフのときにはともかく弱気が先に立ちます。アルコールはこの弱気を消してくれます。もしフラれても、「もてぬ奴さわらぬ体でさわるなり」といううさばらしができるのも、アルコールのはいった場ならではです。

では、もうすこし立ちいってアルコールと口説きの効果についてです。ホロ酔い気分までの段階であれば、大脳皮質の制御の解除は感情面での「邪魔な」規制をとりのぞきます。

この作用自体に男女差はありません。いや、平均的にはエストロゲンというホルモン(女性ホルモン)の分泌能力の高い女性のほうがすこしはやいという説もあるのですが、早期の段階では、まだいくぶんか大脳のシラフ部分の活動も残されています。

そこで場の雰囲気に対応した当人の感情のコントロールもくわわります。つまり、女性がそのような関係になることを望んでいるような場合には「お酒のせいでやむなく…」という精神的な責任転化もできるため、交渉の過程が促進することになります。

もちろん、逆の場合であっても、同じ理由によって「ワタシは、そういうことは真面目のときでないとタメなの」と、席を立つことも可能ではあるのですが。

たしかにアルコールには媚薬的な、というより強精剤としての効果はみとめられています。ちなみに、強精剤というのは大脳中枢の精神的抑制を解除することによって、ペニスの勃起をうながす物質です。顕著な効果の認められているものは大麻やモルヒネなどの麻薬ですが、アルコールも含まれる場合もあります。

したがって、アルコールのこの作用は大いに活用してよいのです。しかし、アルコールにこのような効果が認められるのはアペリティフ的な意味で飲む段階までのことになります。
というのは、もう一歩進んだ状態、つまり「ほろ酔い極期」からあとの段階では、逆に性欲そのものを減退させてしまうからです。

生理学的にみれは、要は「飲みすぎるな」ということです。でないと、
惚薬10十日すぎても沙汰はなし(古川柳)
という結果になるのです。

いずれも、その気になって食べれば、効いたということは往々にしてありうる話です。しかし、性的興奮そのものも概して心理的なものが多いのです。この意味からは結果的に効けばなんでもよいのであって、偽薬(プラセポ)であってもかまわないという理屈です。

アルコールもしかりです。このような理由もあって、夢をプチ壊すのは本意ではないのです、現状では、じつはアルコールには催淫(ホレ薬)効果がほとんど認められないというのが、シラフの研究者たちのだした結論です。

人のこころに作用をおよぼす薬剤のことを、専門家は「向精神薬」と称しています。通常われわれも無意識のうちになにがしかの向精神薬を常用しています。

アルコールにかぎらずコーヒーや茶(カフェイン)、タバコ(ニコチン)の類いです。

化学的にはキサンチン誘導体と呼ばれるカフェインには、中枢神経を興奮させる作用があり、心筋(心臓壁の筋肉)の興奮作用や利尿作用をもっています。
また、タバコの葉に含まれニコチン( アルカロイド)には、自律神経や中枢神経にたいして初期には興奮、後期には抑制作用をもたらすことは広く認められているのです。

はやい話がタバコは最初は眠気をおさえたり頭をスッキリさせてくれるものの、図にのってあまり吸いすぎると精神活動を低下させることにもなるというわけです。

このような噂好をもつ人たちは、知らずして一種の向精神薬としての効果を愉しんでいるとみなされるわけです。医学的には、効果にたいする自覚のある精神安定剤や睡眠薬をよく利用する人もこの範疇にはいります。

ただし、アルコールのもつ向精神薬的効果はコーヒーやタバコの比ではないのです。酒を飲んだときには、くり返し述べているように、最初のうちは気分が高揚します。

シラフのうちには行動を律していた邪魔な抑制もとれます。したがってその方面の意欲もたかまることになります。理屈のうえで、これらのアルコールのもつ向精神薬の効果は、男女にかかわりなくおこります。

そこで、シラフではできない衝動的行動にむかうこともありうるのです。ところが、これには個人差があります。飲む量の多少があります。

飲む目的における微妙なくいちがいもあります。ところが、おうおうにして洒を飲む男性たちの多くは、おなじ場で酒を飲んでいるのだから、相方もそうであるハズだと一方的に思いちがいをします。ふだん見聞きする週刊誌や夕刊紙、くわえてテレビや映画がその錯覚を倍化します。

で魂胆あって相方にアルコールをすすめます。飲むほどに邪魔な抑制もとれてきて、双方の目的がシラフのうちからおなじである場合には、両者ともにソノ方面の意欲も大いにたかまって、メデタク完結することになります。
ところが、最初の目的がことなっている場合が問題です。じつは相手もソノ気になるというのはあくまでも錯覚であって、飲む男たちが無意識のうちに自分にしかけた心理的挑発にすぎないというのです。

この向精神薬の作用機序(錯覚現象) 理解しない男たちは、往々にして間違えることになります。酔った男性たちの多くは、たちまちにして精神構造が子どもにかえります。フォートという人は「アル中とはフロイトがいうところの口唇愛願望であって、いうなれば幼児の基本的要求のひとつにすぎない」と述べています。

アルコールの力を借りて女をくどくのは認められます。しかし、それをセックスまでもっていこうとするのは古来からくり返されてきた愚行であって、医学的な見地からみると、これだけで成功にいたるケースはごくごく希です。

運よく成功にいたったとしても、それはアルコールの力ではなく、その人が本来的に備えているオスとしての魅力ゆえのもの、だと専門家たちはいうのです。つまり、くどきの成功の可否は、シラフでも酔っていても条件はおなじであって、酔ってくどいてうまくいくと思うのは、男性側の一方的な思いこみにすぎません、というのが医学者のだした結論です。
なかには、そんなバカな!とおっしゃるかたもおられるかもしれません。

酒で女性を落とせるか

ではその反間におこたえして、まず相方側の反応、すなわち女性が酒を飲んだとき、どうなるでしょうか。その一端をお目にかけたい。某年、某大学病院において20代から30代の女性を対象に、洒を飲んだときの心理動態が調べられました。

いうなれば淑女たちの「飲兵衛テスト」です。被験者となったのは、ある程度大量飲酒の可能なボランティアの看護婦さんたちでした。

調査されたのは、基礎体温を測り、排卵日前後8日の間をおいての2回です。その場で彼女たちに飲ませたアルコール量は、清酒に換算して約2合半といったところでした。調べられた項目は、血圧、脈拍、皮膚温、顔のほてり、言語のもつれ、動悸・息切れ、気分の変化、片めいてい足で立ってのフラつき検査など。マジメな研究者がおよそ考えつくかぎりの酪酎度の指標です。

ちなみに、同量のアルコールを摂取した場合、血中濃度でみるかぎり、一般的には女性のほうが男性より高くなります。つまり酔いがはやいことになるが、これには、女性はエストロゲン(女性ホルモン)の分泌の度あいによって、アルコールの代謝能力が変化するのもー困、と考えられています。

さて、その結果を示すと、彼女たちがアルコールをとった際に、きもちが高揚したのは排卵日の後(月経前)の期間だった。逆に、排卵日前(月経後) の期間では、飲んだとき眠気を感じたり、きもち悪さを訴える人がいたといいます。

この事実だけ考えれば、お互いに酒杯をあげながら、女性をくどいてソノ気にさせられるのは、排卵日のあとの半月間だということになります。

しかし、男性の側にその期間がわかる間柄ということはあくまで理屈のうえだけからの話ですが、すでに双方に、それに先だってアルコール抜きの親密なおつきあいがあってのもの、ということになります。
ともあれ、すでにそんな関係であれば、ほの暗き紅灯の下での男女のアルコールのやりとりは、度をすごすことのないかぎり、大脳皮質の邪魔な抑制もとりのぞかれるため、両者にソノ方面の意欲をおこさせるよき触媒となることでしょう。

り返し述べているように、大脳皮質の抑制がとれれば、見た目には精神が解放されたような現象がおこることになります。このメカニズム自体に男女差はありません。また、ふつうは女性のほうが酔いもはやいのです。ただし、これはあくまで、男性の側に大酒志向がなく、また、相方に飲ませすぎないかぎりの話ではあります。

では、これがもっと飲酒行為そのものがすすんで習慣的になった段階、すばりアル中と診断された女性の場合ではどうなるのでしょうか。そんな調査もじつはあるんです。1日平均4合を、9年間飲みつづけている淑女たち37人の「ハイト・リポート」医学編です。

全員一様に訴えるのは冷感です。大陰唇の弾力消失者が7人におよび、40に達した人では15人中12人がなんと無月経になっていました。

では、彼女たちのセックスの回数はというと、ふつうに飲んでいるあいだだと、20代では週三回、30代週2回、40代週1回でした。しかし、アル中におちいってからは、回数はおなじでも、バルトリン腺の分泌を自覚した人はわずかに2人だけでした。行為に苦痛を感じる比率が94.6%と高率となります。

  • 性交そのものを嫌うようになった女性が83.8 %
  • 拒否した人は27.0%
  • 同性愛の道にはしった人が13.5%

あまりデータのない研究分野とはいえ、酔って喜ぶ淑女がことのほか少ないことがご理解いただけたはずです。習慣的な過度の飲酒が女性にもその意欲をたかめて、双方のよろこびを増す作用をもたらすということは、まことに夢まぽろしというほかない結論となりました。

アル中男性は「インポ」になる

かえすカタナで男性の側の問題にもふれておきましょう。では、アルコールをとると男のほうはどうなるのか、というものです。
いうまでもなく、大酒家は女性より男性のほうが多数です。したがって、この間題についての回答はとっくの昔からだされているようにもみえます。
まず聞くべきは、行為、欲求の基本的原点です。

「ご自身いまもなお勃起が可能」と思っている人たちは、26人と全体の半分以上(62%弱)を占めます。おおむね元気とみなすべきでしょうが、「では、射精も可能ですか」との問いに「ハイ」とこたえられたかたがたはわずか5人にすぎませんでした。

ほとんどはカラ元気だったということです。ついで、「いまもなお欲望がおありですか」との問いには、18人(43% 弱) が「ハイ」と返事がきました。

関連して、では「行為の際にも飲んでいますか」とたずねると、「ほとんどの場合がそうだ」とこたえたのは16人(42% 強)でした。

しかしながら、「飲んだために性交不能におちいった」とこたえた人たちのほうが22人(56%強) と多めでした。内訳は16人が勃起不能、6人が射精不能でした。

さらに、「飲んでおこなうときのほうが、飲まずにおこなうときより快感が大きい」とこたえた人たちは11人(29% )。つまり、本人の意思にはかかわりなく、逆にシラフの際のほうが得られる快感は高かった(16人=42%強) ことになるのです。
なお、既婚同居者群では、パートナー(夫人)におこなったアンケート調査が付加されています。そこでは…
20人は行為を望まれたとき「いやいや応じる」とこたえているものの、9人は「拒否する」とこたえています。「喜んで応じる」とこたえたパートナーはわずか1人でした( といって、このご夫婦はそれまでの3年間まったくの無交渉であった、とのただし書きがありますが。)

また、「夫に性欲なし」とこたえたパートナーたちが14人にもいました。この報告ではパートナーたちの拒否する理由が明記されてはいませんが、夫側の回答と重ねあわせれば察するのは容易です。「夫に性欲なし」とこたえた14人のパートナーの声が代弁しているのです。

アルコールにおける催淫効果を期待する人たちは多いのですが、飲んで行為におよぼうとするものの、気ばかり逸ってモノが立たないというのが、過度の飲酒者での平均的な姿なのです。
では、いっそのこと、アルコールにマムシ、マタタビ、イモリの黒焼その他、古来より伝えられたさまざまの強精薬物を混ぜてみてはどうなのか、という声もあります。しかし、これらの努力もおおむねはフィクション、まぼろしの世界の物語に終わるのが通例だと研究者たちは口を揃えます。

アルコールは催淫剤ではないとの結論に至るのです。もっとも、アルコール摂取が少量であるうちは、精神を興奮させる効果がないわけでもないのだから、飲兵衛の方々は、その衝動のキザした際には、あくまで出し入れの順序を逆にされることをおすすめするほかありません。

つまり、かりに飲むとしても、せいぜい食前酒程度の量にとどめるか、でなければ飲むまえにソノ行為をすませ、あとはゆっくりとアルコールを愉しんでいただくよりないのです。機能をうしなってなげくオノコは哀れとはいえ、やはり下道酒というべきものでしょう。

酒をやめたら、もうひとつの健康を損なってしまう

古来より「飲酒は楽しみを以って主となす」といいます。しかし、その楽しすぎることが酒の害でもあるとも言われています。
酒をなぜ飲むかと言われれば、体にいいからという答えはありません。なぜ喫煙するかときかれても、体にいいからとは言いません。

しかし、多くの人が、酒を飲み、煙草を吸います。酒をやめたら、もしかしたら健康になるかもしれません。長生きするかもしれません。しかし、それは、もうひとつの健康を損なってしまうのだと思わないわけにはいきません。

洒をやめたら、もうひとつの健康を損なってしまうのだよ。と、飲兵衛たちはひとしくこのことばに納得します。「人はなぜ酒を飲むのか」との命題をかかげ、その理由をさまざまに問いかけてみました。

めまい二日酔いなんのその、アルコールにまさっうてこころの憂さをはらす手だてはないではないのでしょうか。天下が傾こうと槍が降ろうと、酒盃をとる飲兵衛族にとっては、今日もまたアルコール記念日、日々愉しきものかな、との浮き立つこころにあったということです。

ところで、気になるのは「もうひとつの健康」です。これは酒を愛する人たちならだれでも気になるところでしょう。では、アルコールを愛するというのは、本当に病気なのでしょうか、ただの不健康なのでしょうか。

アルコールを習慣的にとる行動とは、いったいどこからを異常とみなすべきなのでしょうか。酒を飲んであらわれる人格の破綻とは、どこからが後天的な酒乱によるもので、どこまでが生まれつきのものなのでしょうか?

また、酒を飲んで大言壮語し、タワごとを吐いてみたりもする癖はどこからがアルコールのもたらすイタズラであって、どこまでが生まれつきの癖なのでしょうか。「アルコールを習慣的にとる人たちには、さまざまな特徴がみられる」とあると漠然としています。

たとえば、嫉妬、やきもち、うつ状態、酒酔い運転、残業にかこつけての飲酒、記憶低下、隠れ飲み、インポテンス、加えて深夜の長電話(テレホニティス)などがそれに該当します。

しかし、ふつう、だれでもがとられるこのような行動まで、そのすべてがアルコールをとるために生じる弊害ときめつけるのはいかがなものでしょうか 。

酔っぱらい運転はともかくも、嫉妬、やきもち、うつ状態、残業にかこつけての飲酒、インポテンス、深夜の長電話。これらの行動のすべてをアルコールのためとみなすことには、飲兵衛であるわたしも疑問を持っています。

すでにアル中(アルコール依存症)と診断された人などでは、禁断症状があらわれたときに幻聴、幻覚、錯覚、錯視などとともに、このような症状がでることは少なくないのです。

たとえば、大量に飲んだときは、道徳的な規制がとれます。ときには美醜の感覚まで喪失します。しだいに判断力や記憶能力もうしなわれていきます。そのとき本人がインポぎみであった際、パートナーが浮気をしているのではないかと妄想するケースがあります( これをアルコール性嫉妬妄想といいます)。医者のいう嫉妬、やきもちその他はこのような場合だというわけです。

飲みすぎると弱くなる

では、アルコールを習慣的にとりつづけていると、どんな状態がでるようになるのでしょうか。この点での著名な研究者にはアメリカ人がいます。第二次大戦前のアメリカでは禁酒法時代がありました。

映画テレビでおなじみのギャングを横行させたこの法が廃止されたとたん、皮肉にもあちらではアル中が増え、別の面で社会が乱れてしまったのです。このアル中の増加現象が、じつは アルコール依存症は、れっきとした病気である」と、医者たちを叫びださせる呼び水ともなりました。

ジェリネックはそのリーダー格のひとりです。彼は、人の飲酒行動が異常化するパターンを大別し、さらに行動のきっかけとなる徴候をこまかく43分類しました。

ジェリネックのいう「飲酒行動の異常化」は「前アルコール症相」にはじまります。前アルコール症相とは息抜き飲酒が常習化する段階のことです。

ほとんどの飲兵衛とってはごくふつうの行動です。ついで「前駆相」に移ります。めやすは「ハテ、おれは夕べどこで飲んだのだっけ」という「ブラック・アウト」現象の出現です。やがて隠れ飲みがはじまります。はてはブラック・アウト現象が頻繁におこりだすまでの段階が前駆相です。

このあたりから、飲兵衛のなかでも個人差がではじめます。

第三段階を「臨界相」といいます。そろそろ危なくなる段階です。飲む本人には「自分は飲兵衛なのだから、少々乱れることもある」と自己弁護する状態がつづき、家族や医者たちから「あなたはもう病気なのでは?」と疑われる境界域です。
ポイントは抑制の喪失です。はやい話が歯止めがきかなくなって、飲兵衛はひとしくおのれの飲酒癖を合理化したり正当化するようになります。

この段階もさらにこまかく分けられているのですが、とどめは「朝ざけの規則化」です。つまり最終段階を「慢性相」といいます。それまでは酩酊する時間が夕刻以降であったものが、この段階にいたると、のべつまくなしとなってしまいます。この現象を「遷延酩酊の開始」とも表現します。

そのあと、人体のアルコールに対する受けつけ能力が低下しはじめます。なんと、お酒によわくなってくるのです。これを耐容性の低下といいます。しかし、それでも飲酒行為はおさまらないのです。のつまり、本人みずからがキプアップして、医者に救いをもとめるようになるのです。

ついでながら、ジェリネックはアルコール依存症者をα(アルファ)からβ(ベータ)、γ(ガンマ)、δ(デルタ、ε(イプシロン)までの5つのタイプに分けています。

  • α…心理的要素の高い飲酒者(飲酒抑制も禁酒も可能の人)
  • β…身体的な病気をもつ飲酒者(たとえばけがや歯の痛みを酒でまぎらせるようなたぐいで、まだアルコールそのものに対しては心理的、身体的依存のみられない人)
  • γ…すでに抑制を喪失している飲酒者(身体的かつ心理的依存があり、加えて飲酒抑制もできない人)
  • δ…禁酒はできないが飲酒抑制ならできる人(一見、意志強固にみえる人)
  • ε…渇酒状態の飲酒者(長期かつ過度の大酒飲みの人)

ジェリネックのあげた「臨界相」とは、飲兵衛がひとしくおのれの飲酒癖を合理化し、正当化する段階のことです。ここで、自分の飲みかたが病的だと客観視できる人は飲酒の回数や量をひかえることができます。

先にすすむほど「アル中度」が高くなっていくことになります。しかし、彼は、この5つのタイプのすべてをアル中とみなしています。たかが嗜好品とはいえ、アルコールは一定量以上ヒれば、たちまちにして薬理作用があらわれます。

飲兵衛たちのこころをハイにするのです。まことにきもちのよい状態をかもしだします。だが、アルコールをとる日々をくり返すうちに、飲兵衛は意図的、無意識的に好ましい状態にあこがれ、その状態が長くつづくことを願うようになります。これこそアルコールの向精神薬的効果と言えるでしょう、とジェリネックに代表される医師たちは口を揃えます。

この種の作用をおよぼす原理は、いつにして薬剤の中枢神経系への刺激です。薬剤の側からすれば、しだいにもっともっとと、より多くとらなければおさまらなくなり、結果的にはそれがいっそう依存傾向を強めるところが問題となるのです。このような依存を招く原因は、当然、環境的なこともあります。

いや、禁酒法後のアメリカの例のように、環境こそアル中を生みだす最大の原因ではないか、と考える人もでてくるでしょう。原理的にみても、アルコールそのもの餅存在しない環境下では、飲兵衛とて酔っぱらおうにも手段がありません。

そんな疑問からアル中=環境素因説、つまり飲兵衛の環境要因を探っている途中で、珍しい規範をみつけました。人がアルコール依存をおこしやすい条件とはーこの規範を示すのは、米国アルコール中央委員会という団体です。

  1. 家族内にアルコール依存者ないしは禁酒主義者がいること
  2. 配偶者ないしは身内に1の条件を満たす者がいること
  3. 欠陥家庭や問題のある親がいる家庭
  4. 大家族の末っ子か、世代のうちの若い半分に属すること
  5. 一世代以上まえに、うつ病をくり返す女性の親類がいたこと

おそらく定型的な疫学や統計分析から導きだしたものだと思いますが、幼児体験のトラウマ(精神的な疲痕)から、夫婦関係、家族関係などが、人が酒を飲む癖に影響をおよぽすこともうなずけないわけでもありまsn。しかし、4、5のあたりになると、やはりどうかという気がします。

われわれが酒を飲むのは、あくまでも自由意思にもとづくものであって、一世代以上まえにうつ病をくり返す女性の親類がいたりしたせいではない、と思いたいのです。
飲む機会や場所、飲酒をすすめる広告類などの氾濫している今日、アル中と環境因子は、単純に考えれば、密接な関係にあるようにもみえるのですが、実際に環境のなかにアル中素因を見つけ、ることは思いのほか困難でしょう。

この米国アルコール中央委員会の示している、一見非現実的ともみえる規範の設定は、その困難さの一例を示すものといえるでしょう。

アル中にいたるかなしみ酒

2杯が3杯、3杯が4杯と酒杯をかたむけるにしたがって、飲兵衛の疲れをとり、精神いや的な癒しを増すのが、この魅力にあふれた液体の向精神薬的作用です。

向精神薬とは、脳脊髄などの中枢神経にはたらいて精神を賦活(活性化)する作用をもつ薬剤のことです。服用量が増えるにしたがって、当然、精神を活性化する作用も大きくなります。

さて、アルコールの場合はどうでしょうか。アルコールには、この作用が十分すぎるほどにあります。ひとつ間違えれば精神異常をきたしたり、ときには覚醒剤のような副作用をもたらしたりするほどです。そのような状態が「アルコール依存症」におちいった人たちにでるさまざまな異常や症状なのです。
アルコール依存症はこちら

精神医学的な観点からいえば、「アルコール依存とはある環境下におかれた特定の者が自らの意思でアルコール飲料の急性中毒作用をもとめ、くり返しこれを摂取すること」です。

飲む当人にとって最初は愉しいはずのアルコールが、しだいに憂うつの度を増しはじめてくるのです。
医者のいうアルコールによる「酔いの本態」とは、鎮静剤や睡眠薬と同様の範疇にはいるれっきとした向精神薬作用です。この点をもう少しくわしく述べると、つぎのようになります。

薬物(向精神薬)に依存するという意味あいには2つの側面があるのです。「精神依存」と「身体依存」です。アルコール常飲者の多くにみられる依存の多くは、精神依存のほうです。

薬物依存とは、その薬理作用の体験がじつに心地よいものであることを知り、再度、追体験したくなる心理的欲求のことです。

この心理的欲求が社会的、医学的な許容範囲にとどまっているあいだであれば、おおむね「正常域」であるとみなされます。

つまり、飲酒時にもたいした問題はおこりません。しかし、少数派とはいえ、飲兵衛たちのなかには、かりに行動自体が社会的には「正常域」にあるようにはみえていても、すでに身体依存を生じている人たちがいます。

人のからだの組織が絶えまなくアルコールの影響下におかれたような場合には、一見、奇妙な現象がおこります。それは、アルコールの作用を比較的よわく受ける部分の神経のほうが異常に興奮するということです。

すでに麻痺して「役立たず」の、つまり正常な機能をうしなった神経は「無視」されて、まだアルコールに毒されていない一部の神経のほうがよけいに影響を受けるというわけです。

なぜ、このような現象がおこるのかというと、これはまだ機能的に正常度をたもっている神経が、けなげにもからだの機能をできるかぎり正常に維持しようとして、代償的にはたらくためであろうと説明されています。
そこで、このような場合、正常な神経に興奮が生じたときには、体内ではアルコールの抑制作用を打ち消すほうにはたらくことになります。

アルコールへの適応性がでてくるわけです。この段階では、見かけ上アルコールの影響は弱くなっています。飲んでも酔わないので、もっと飲みたくなります。

一方、このくり返しによって、からだの側(正確にいうと神経組織)の抵抗力が徐々に強くなってくるのです。アルコールに対する神経全体の耐性が増すわけです。
つまり、酒量が一段と増えることになります。だが、酔いの心地よさを求めて飲む量を増やしっづけているうちに、しだいに、それ以前には飲んだときにしかでなかった神経の興奮状態が、アルコールの切れた段階でもつづくようになってきます。

過量のアルコールに対応すべく、一部の神経の興奮が、切れた状態になってもすぐにはしずめられなくなってしまうのです。

そこで、からだ(神経)は酔いっぱなしでさめなくなってきます。この現象を「興奮性の病的症状の発現」といいます。

いいかえれば「禁断症状」(退薬症候)がでるわけです。アル中( アルコール依存症)と診断されるのは、この段階からです。

病気でいえば、アル中とは慢性薬物中毒のケースです。この状態はアルコール中毒と見なしてもさしつかえないわけですが、医学的には「中毒」とは急性症状のことをさす言葉です。

ほかの「中毒」の場合は、症状がでたあとふたたび同様の行動をくり返すケースは少ないのでうが、アルコールの場合には、本人に自覚があっても飲酒行動をくり返し、その結果病的症状があらわれるところから「依存症」と呼ぶわけです。

これまでのことをまとめしょう。アルコール依存症は、まず精神依存によって生じる異常飲酒行動にはじまります。日々酒を飲みつづけている場合には、その薬理作用による急性症状の反復が生じます。ここまでは精神依糊存の段階です。しかし、飲む量が増えるにともなって、しだいに身体依存が生じるようになります。
アル中には、このように二段のステップを踏むことになるわけです。最初の徴候を示す異常飲酒行動とは、ひとくちにいえば自制心の喪失です。

  • 飲んではならないTPOすなわちときと場合と状況の無視
  • 濃度の高いアルコールのガブ飲み
  • 昼夜関係なしに飲む
  • 隠れ飲みをする
  • 飲みはじめたら泥酔するまでやめない

このような行動がそれに該当することになります。まだ、これらの異常飲酒行動は、飲酒が慢性化するにしたがって、身体依存を示すさまざまな症候がではじめるのですが、この症候にも大別して2種類あります。

すなわち、アル中(アルコール依存症)の症状には、いわゆる「禁断症状」に由来する症候と、酒毒の「慢性的な弊害」に由来する症候の2つに分けられます。

前者は「アルコール退薬症候」と呼ばれるものです。不眠、不安、からだのふるえ(振戦という)、運動障害、異常発汗、筋肉のひきつれ、嘔吐、妄想、幻覚(幻視・幻聴)、全身のけいれん、失神、発熱、昏睡…。

このような症状は、たいていの場合はアルコールの血中濃度が下がったとき、つまりシラフにもどったときにでるのが特徴です。

なお、飲んだ状態でも、酩酊状態に達していなければでることがあります。後者は「アルコール慢性中毒症候」といわれるものです。

記憶障害、痴呆、人格破綻、意識障害、せん妄などの脳の障害を示す精神症状が特徴です。さらに、肝障害や膵炎、その他もろもろの臓器障害もでます。

アル中はなおりにくいといわれます。それは、神経の興奮する最初の段階で心地よい感覚がともない、この感覚には抗しがたい魅力があるためでしょう。

しかし、依存がもっとすすむと、酒を飲んでいない状態では、精神的不安だけでなく、アルコール退薬症候にみられるように、からだ自体も落ちつかなくなるためでもあります。とはいっても、アルコール慢性中毒症候のでる段階では、たいていの飲兵衛たちは、家族や知人たちのすすめを受けて、精神科を受診するようになるでしょう。

うつ病を防ぐアルコール摂取

ところで、アル中の成り立ちには、農村型と都市型の二派があるという説があります。陽が傾くと、今日も仕事が終わった、さあ今夜も飲ろうという習慣が重なるにしたがい、気がついてみるといつしかアル中だったというタイプが農村型です。

これに対して、仕事の労苦や精神的うっぶんがつもり、ストレスがこうじて、飲んでいるうちにアル中におちいるというタイプが都市型です。

労働の質や精神的過労度がたかまっている現在では、農村型タイプより都市型タイプのアル中が増えていると予測されますすが、このような不断にかかるこのストレスヘの対応と「漕ぎけ症候群」すなわち酒に飲まれるという心理には、どこか共通するところがあるように思えます。

よくこころの憂さがこうじてなる病気に「うつ病」(デプレッション)があります。本来デプレッションとは不景気をさすことばですが、まさしくうつ病もこころが不景気になった状態を示す病態です。
もっとも、最近のアメリカ精神医学会などでは、このデプレッションは「ムード・ディスオーダー」( 気分障害)という用語におきかえられつつあるともいいます。

用語の別はともかく、病的にアルコールをとる人たちには、われわれがうつ病におちいるケースと似ているところがあるような気がしてなりません。そこで、まず、うつ病とはどんな病気なのかを考えてみたいと思います。

うつ病は人のこころに陰りをもたらす病気といえるでしょう。このような情動を示すケースはかならずしも成人男性だけではなく、世代や性差を超えて存在します。

かつて、うつ病は思春期うつ病、成人のうつ病、老年期うつ病などと世代単位でくくられることが一般的でした。

最近では、情動の特徴や世代的なくくりから「○○症候群」と命名されて、マスコミをにぎわす機会が増えています。

以下に紹介するものは、厳密にはすべてがうつ病というわけではないのですが、治療の場では、こころの病として、もっぱら精神科医や心身症専門医の手にゆだねられることの多いものであるか若い順にならべてみると、まず「登校拒否」があります。
20歳前後では「ピーターパン症候群」がでてきます。つねに母親から世話をやいてもらい大人子どもの青年群である。同様の自立心なき女性をさすものに「シンデレラ・コンプレックス」というものもあります。

似たものに「青い鳥症候群」があります。これも母親の影響から脱しきれずに、言われたことには順応するのですが、といって固有の主張や自我を持たない幼児や青年たちのことです。

また「アパシー症候群」もあります。社会や政治その他、世のうごきにたいしてなにごとにも無関心、無感動のシラケ世代の若い男女のことです。

30代を中心に頻発するのが「出社拒否症」です。やく年代が10歳ほど上がって厄歳前後になると「サンドイッチ症候群」におちいる人も増加します。

いうまでもなく新人類と鬼上司にはさまれてうめく中間職層特有のものです。だからといって安易な昇進願望もくせものです。

当人にはうれしいはずの昇進がきっかけとなってうつ状態を呈すのです。「昇進うつ病」も案外多いのです。これが窓際を意識しはじめた50代になると、朝起きて朝刊を見るのがつらい「朝刊症候群」なども登場します。

あと5~10年で定年ないしは定年直前という人たちにしのびよるのが「上昇停止症候群」です。そして定年後には無気力、やる気なしという「燃え尽き症候群」がでてきます。

一方、女性では、40歳代以降に多いのがズバリ「キッチンドリンカー」で、別名「台所症候群」とも呼ばれます。最近のはやりは、娘や息子が独立したあとの亭主は粗大ゴミ、ぬれ落ち葉。あとに残るのは、ながいむなしさだけという「空の巣症候群」です。

サラリーマンの鑑がかかる「うつ」

ついでながら、うつ病症状の発現には、アルコール依存のケースとは逆に、じつは精神症状より身体症状のほうが多いのが特徴です。

まず身体・生理機能の低下がくる。たとえば性欲の減退や喪失、不眠。また食欲不振、からだの倦怠感。疲れやすい、食欲がなくやせてくる。

あるいは腹部の不快感、吐き気・嘔吐、など便秘、下痢などの消化器の症状もでます。血圧の変動や自律神経系の機能異常を示す動悸、イライラ、四肢冷感、からだのほてりなどが生じます。

典型的な四症状をあげれば、睡眠障害、意欲減退(抑うつ)、食欲不振、頭痛・頭重です。

睡眠障害には、寝つきの悪さ、眠りが浅くなる、早朝覚醒(早朝3時、4時ごろに目がさめてしまう)などがあり、目がさめてもすぐにはおきられない寝起きの悪さなどもあります。このなかで、とりわけうつ病の存在を示すポイントは早朝覚醒です。夜半に目ざめたあ血と眠れない。うつうつと寝返りを打つままにすごすため、結果的には寝起きも悪くなります。断片的にいやな夢を見ることも多くなるでしょう。

疲労感・倦怠感の発現頻度も高くなります。ついで首筋や肩のこりなどの症状がひどくなります。うつ病は、世代とは無関係におこると述べましたが、やはり多いのは中年期の男性です。徐々に体力も衰え、高血圧、狭心症、胃潰瘍、がんの多発をみる年齢にあるのが中年期の特徴です。

からだの衰えを自覚すれば、だれしも自分が元気であったころを懐しんでは、ウジウジと過去の体調にこだわったりするでしょう。
それにひきかえいまのオレはと考えれば、きもちも暗く沈みます。うつ状態になりやすくもなるのも当然です。

「うつ病」はまぎれもなく病気です。発病には、なにかストレスとなるこころの負担やきっかけがあります。たとえば喪失体験。

大事なものをうしなったときにはうつになりやすいのです。うしなってはじめて気づくのが人やものへの愛着です。最初は気がつかないのです。知ったところで、それはすぎた過去のこと、ささいなことだと自分のこころにウソをつきごまかします。
その傷は心の底に沈みはするが消えはしないのです。痛手を回復できないままにその傷をおさえつけようとしています。

かつてフロイトは、人がこのようなときにうつ状態におちいるのは「喪失体験」や「悲哀の仕事」のメカニズムがはたらくためと言いました。
からだに変調をきたしたときには医者に行く。うつにおちいった中年諸氏の場合、その受診態度はきわめてまともなのが特徴です。髪を振り乱し、あらぬことを口ばしったりするのは精神の破綻であって、これは精神病の範噂での病気です。

うつ病患者の多くはにこやかに笑みを浮かべて、医師の問うあれやこれやに理路整然と応対し、けっして乱れません。

このため、いまでは「微笑うつ病」などと名づける医者もいるくらいです。こころに深い悲しみを負う者ほど態度は沈着です。

これがうつ病にあらわれた真実ですうつ病になりやすいタイプとは、いうなればサラリーマンの鑑ともいうべきかたがたです。くり返しますが、この病態に理解を示さないただの医者は誤診してしまいます。血圧、尿、血液、レントゲン、心電図と、その医者のもつ器材や武器を総動員してさまざまに調べてはるのですが、ほとんど異常なしとでます。

そこで、今度はしつこく聞くことになります。あらわれた異常のほとんどは身体上のものである。そこで、原因を聞かれても思いあたるやまいフシがないのです。

「まあ飲みすぎですな、なに気の病ですよ」とかるくいなされてしまいます。いなされた人のなかには、せめて酒でも飲まなければ気の晴れようがないではないか? という人もでてきます。
そのあげく、うつ+アル中でいのちを落す人もいるほどです。話を本筋にもどすが、うつ病とアルコール依存症とは、たしかに病態生理や治療法はことなります。

しかし、これまでいろいろ述べてきたうつ病にみられるこれらの症状には、都市型のアル中者、すなわちアルコールに救いを求めつつおぼれていく中年世代の男性と、意識や態度において共通するところがあるように思えてなりません。

ただのアル中ならお酒をひかえればなおります。と、たいていの医者は口にします。たしかにアル中症状は改善されるでしょう。

しかし、酒をやめたらこころにぽっかりと穴があいて、もうひとつの健康を損なってしまうではないでしょうか?アルコールをとっただけでうつにおちいるわけではないのです。だが、うつをまぎらせるために酒量を増す者は少なくないのです。世にうつ病が増える大きな原因は、だれでも知っているようにストレス社会の進行です。

われわれがアルコールにはしりたがる理由にあえてこじつければ、たとえそれで得られるものが一刻の夢まぽろしであるとはわかっていても、こころの優しさを保ちつづけたいという願望があってのことなのです。

最初の徴候は「ブラック・アウト」現象

アル中におちいっていく心理過程には、つねに身体的依存とウラハラになっていることが多いのです。愉しみの漕がうっぶん晴らしの酒にかわり、夜ごとくだ巻いての千鳥足となるうらでは、確実に意識の喪失現象が進行していくのです。すなわち「ブラック・アウト」現象です。

意識喪失までいかない記憶喪失であって、飲酒中あるいは直後のできごとの一部を忘れてしまうこと」なのです。なお、この現象は、アル中者だけでなく、ふだんあまり酒を飲まない者でも身体的・精神的な疲労のあるときに飲酒をすればおこることもあります。

この飲酒後の部分的健忘をさす現象は、前にあげたジェリネックのいう飲兵衛の「前アルコール症相」から「前駆相」にはいる特徴(めやす)とされるものでもあるのです。

しかし、酒を飲んで乱れる現象には個人差がつよくでます。そこで、このブラック・アウトがどの時点からあらわれるのかについては異論も多いのです。

たとえば飲兵衛大国たるフランスのある研究者は、ジェリネック説にかみついて、それはアングロサクソン系だけで通用する話であって、自国では、たいていは末期段階でしかみられないものだ、といっています。しかし、そのいずれであっても、飲兵衛を自負する人たちには、どこかの時点でひとしくおこる現象だと思われます。

また、このブラック・アウト現象は、飲兵衛のこころとからだに進行している病理現象をつなぐ中間項といったところでもあります。すなわち、おこる度あいが高いほど、それだけこころだけでなく、からだの異常の度あいもすすんでいるとみなしてよいでしょう。

アル中はぼけやすい

人間だれしも歳をとれば、多かれ少なかれもの忘れ現象がおきます。細胞のはたらくスピードも鈍ってきます。これは脳の機能を支えている神経細胞の数が減っていくためです。

脳内の神経細胞の数は、成人では平均でおよそ140億個存在するが、20歳をすぎれば1日に10万個ずつ失われていくというのが今日の定説です。

ボケることのひとつの徴候は記憶の喪失です。記憶中枢は、酔いの本態の説明のところでも述べた感覚中枢の集まる「大脳辺縁系」と呼ばれるゾーンにあります。より正確にいうと、側頭葉にある「海馬」という領域です。

日々の記憶はすべてここに蓄えられるしくみになっているのですが、ここの神経細胞はたったの10万個程度しかない。これが日々破壊されていくのです。
人はボケはじめると、記憶が先祖がえりをして昔のよき思い出だけが残る人が少なくないのです。

この現象は、極端にいえば、最初に消えるのが現在進行形の記憶、つまりほんのすこしまえの、もっとも近い過去であることを示しているのです。しかし、どこまでが正常の範囲内で、どこからが痴呆のはじまり、と境界線を引くのはそれほど簡単ではありません。

たとえば判断力の問題です。若い世代のほうがおおむねシャープですが、しかし、高齢年代の多くの人が一様におなじ傾向を示すとすれば、それは脳の機能的な衰えではあっても、異常であるとはいえないのです。そこで、病的なボケ(=痴呆) とは「成人になってからおこる知能障害のことです。また、これが原因で、それまでできていたことができなくなり、日常生活にも支障をきたす。介助の必要の生まれるような状態のこと」だと定義されています。

まず指標となるのは「もの忘れ」である。ふつうのもの忘れだと部分的なことにとどまるのですが、痴呆の場合にはまるごと忘れてしまいます。

痴呆の進行にともなって、ただ忘れることから、計算能力がなくなったり、自分のいる場所を忘れてしまったり(失見当識)します

。つまり判断力そのものがうしなわれます。ブラック・アウト現象もこれに近いのです。痴呆者では、当人にとっては忘れたことすら忘れてしまうようになります。正常者ならなにかを忘れたときには、自分がそれを忘れたことに気づきます。

だが痴呆者ではその自覚がありません。もっと始末の悪いのは、被害者意識のようなものがあらわれることです。この状態では「幻覚、妄想、俳掴」などがはじまることが多くなります。

ご近所に「嫁がワタシの財布を盗った」とか「いじめる」とかいいふらし、家族を泣かせるのもこの段階です。

アル中者にあらわれたボケ症状でも、程度のちがいはあっても、ここまでは老齢によるボケと似た行動を示すようになります。

ここでは痴呆の成因にくわしくはふれませんが、医者から「痴呆症」と診断されるケースで実際にもっとも多いのは、脳出血・脳梗塞などの脳血管障害による痴呆と、退行変性疾患つまりアルツハイマー型痴呆です。
この2つのタイプのうち、日本人では脳血管障害が原因でなるもの(脳血管性痴呆症)が多くなります。

アルツハイマー型痴呆とは、アルツハイマーという医者が最初に発見したところからの命名なのですが、欧米人に多いタイプです。

あらわれる痴呆症状はおなじであっても、脳血管の障害とはまったく無関係です。はやい話、アルツハイマー型痴呆は脳そのものが萎縮するのです。萎縮は側頭葉の海馬域からはじまります。脳血管性痴呆症が、たとえば脳卒中で倒れたあとなど、どちらかといえば、ある日突然発症するのにたいして、アルツハイマー型痴呆症はゆっくりと進行していくのが特徴です。

進行が遅いので、このタイプでは、いま痴呆がどの段階にあるのかということがわかりやすいのが特徴です。この点、アル中者にみられるボケ症状と似たところがあります。異なるのは原因の有無だけです。

アルツハイマー型痴呆症でも、初期の段階でおこるのは、やはり「もの忘れ」です。医者はこの段階を「健忘期」と表現します。

これに失語症や失見当識などの判断力の喪失が加わります。

夜間落ちつかなくなり俳諧がはじまります。精神的混乱や幻覚・妄想などもでてきます。これが「混乱期」です。最終的には肉親の顔を忘れるといった高度の認知障害をおこします。失禁したり、体力がおとろえて寝こむことも増えてきます。この段階を「痴呆期」といいます。

ボケやすいタイプ

では、ボケになりやすいタイプ・職業というものはあるのでしょうか。かつてある地域で調査されたデータによると、痴呆老人に共通する条件として、次のような7つのタイプがあげられていました。もっとも、医学的に因果関係が証明されるのは、病気の原因や成立過程がはっきりしているものにかぎられるため、アルツハイマー型痴呆のようにまだ手さぐり段階にあるものでは、厳密にはこのような関係は成立しません。

  1. 若いころから仕事にも遊びにも熱中できず、怠慢な生活を送ってきた人。覇気がなく、おとなしく、家庭でも軽くみられてきた人に多い。
  2. 仕事一辺倒で、趣味、ゲーム、スポーツなどに無関心だった人。学校の先生、大学の教授、役人、銀行マンの一部にみられるタイプ。比較的、反復的・非創造的な仕事をつづけてきた人。自分でつくりだすより、ほかから与えられる種類の仕事。自営業よりは、宮仕え。定年のある職種。また仕事に追われて暮らし、日々の生活をエンジョイしていないタイプの人。
  3. 非社交的で、親しい友人のいない人。
  4. 性格的には暗く、頑固で自閉的な人。
  5. 経済的には困っていないが、生きがいのない人。
  6. 一般的には、大家族より核家族の人(ただし、ひとり住まいの人にもカクシャクとした人はおおぜいいる)。
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