お酒

酒の楽しみは飲兵衛にしかわからない

酒を飲む理由

「なぜお酒を飲むのか?」こう聞かれたとき、こたえは、それぞれのおかれた立場や心情で千差万別です。

たとえば、酒造会社の営業マンなら「おサケの歴史は、古来よりプロの女性の職業とならんで」と、その場でいきなり文化論を始めるかもしれないし、酒豪でなる文学者なら「創造の根源」とひとことですますかもしれません。

また、国税庁の役人なら「多額の間接税を支払うことによって国家に貢献するため」というかもしれないし、医者、とりわけ精神科医や内科医なら「これがじつにこまった存在でして…」と、いちおう( もったいぶって)まゆをひそめたりするかもしれません。

しかし、純粋に飲んで楽しむほうの立場、つまり、飲兵衛を自負されるかたがたではどうでしょうか。なにをいまさら!と笑いとばされるのがオチかもしれないですが、あらたまって聞かれると、さて、と考えこんでしまうのが、われわれ一般の正直なきもちなのではないでしょうか。

わたし自身もお酒大好き人間のひとりです。初体験は5歳ころ。成人式をすませたあとの30年間にかぎっても、まったく飲まなかった日々を数えあげると、辛か不幸か両手の指を最後まで折らずにすんでしまいます。とはいえ、わが肝臓に感謝しつつも、なんのために飲んでいるのかと問われると、やはりまごついてしまうのが正直なところです。

人が洒を飲むのはなんのためでしょうか?
たかがアルコール、されどアルコール。アルコールと化学式で記述されるアルコールを飲んで酔うという現象、考えれば考えるほど、われわれ飲兵衛族の生理、心理、情動に深く根ざすところがあるようです。

お酒は百薬の長か?

人が楽しみを得るためには、なにかの行為をおこなわなければなりません。楽しみは、つねにその行為の結果として得られる結果です。

これはスポーツや読書などだけでなく、食事やセックス、はてはお金もうけから深遠な思索にいたるまで、オーバーにいえばあらゆる人間行動に共通します。この原理にあてはめると、人が酒を飲む理由は、なんでしょうか。もちろん、いうまでもなく、飲兵衛の大半は「酒がうまい」からです。

杯をかさねるにつれて、からだもこころもしだいに心地よくなっていく楽しさは、だれもが共有するところ、といえるでしょう。とすると、この酔いの楽しさを求めるために、人は酒を飲むのではないでしょうか。

飲兵衛にとって飲酒とはじつにこころがおどる行為です。しかし、興がすぎてハメをはずすと、からだのコンディションも含めて、日常生活でトラブルや摩擦をおこしてしまうのも事実です。

ほとんどの人が経験するところですが、だからといって「禁酒しよう!」とは考えません。むしろ、その行為によって生じた多くの「失敗」や「苦しみ」は、いつしか忘却のかなたに消え、「つい気がつくとまた、酒杯を手にしている」という人たちのほうが多数派です。

また、そのようなこともあって、飲兵衛たちは、飲む際にだいたいいいわけをします。つまり飲む理由をさがす。理由がなければ「それもまためでたきこと」と、これまた酒杯をあげる立派な理由とします。

つまり、この過程を無反省にくり返しているあいだは、人はなぜ酔いたがるかという根源的な疑問には回答が得られないことになります。

ところで、飲兵衛の好むお題目のベスト・ワンといえば、まず「酒は百薬の長」です。だれでも知っているこの「名言」を吐いたのは、いまから2千年ほどまえ、中国前漢王朝の王莽という人です。

みずからが建てた「新」王朝の租税源として塩、酒、鉄の専売化をねらって、と述べたのがそのルーツです。

年月が経過するにしたがって、なぜか前後のフレーズが落ちてしまったのです。中国文化が伝承されて以来、このことばは、わが国の飲兵衛知識人、文化人のいいわけとなってしまったのです。

この「百薬の長」という表現には、意識するしないにかかわらず、飲みてのからだの側への反映があります。「(建前としては) あまり飲みたくもないのだが、なにしろからだにとってたいへんよいものだから、やむなく…」という理由づけです。

これはコジツケです! と、たいていの飲まない人たちは考えるでしょう。それなら「百薬の長」であることは医学的に証明できないものでしょうか。

養生訓読 の「酒」の条には、こう述べられています。

酒は天の美録なり。少し飲めば陽気を助け、血気を和らげ、食気をめぐらし、愁いを去り、興を発して、甚だ人に益ありと。

すなわち、アルコールは少量であれば気分をよくし、血の気をおさえて、食欲を増進する。こころの不安をぬぐいさって、精神を活発にして、健康増進に役立つものである、というわけです。

じつは現代の医学でも、少量のアルコール摂取が人体に好ましい効果をもたらすことは認められています。その効能のまず第一はストレスの解消です。

酒を飲んだあと、皮膚にある種の電気的刺激を与えると、精神的緊張がとれていることが実験的に証明されています。ストレスのかかった状態では、体内では副腎皮質ホルモンやカテコールアミンというホルモンの分泌がたかまっています。しかし、お酒を飲んだあとには、あきらかにこれらの分泌はおさえられています。このカテコールアミンは血圧を上げる物質(昇圧物質) としても知られています。

つまり、高血圧の要因のひとつでもある。カテコールアミンの抑制は、アルコールの血管拡張作用とともに一種の降圧剤的な作用効果をもっているということです。

また、成人病の代表格に動脈硬化がああります。動脈硬化は血液中のコレステロールが動脈の血管壁に沈着しておこる。しかし、コレステロールには、このようなワルサをするもの(悪玉コレステロール=LDL )と、逆に動脈の血管壁を掃除する役割をはたしているもの(善玉コレステロール=HDL) があります。
悪玉(LDL)と善玉(HDL)

アルコールにはこの善玉コレステロールを増やすはたらきが認められている。心臓(心筋)内の血管で動脈硬化がすすむと、心筋梗塞や狭心症などの心臓病がおこる。心筋梗塞というのは心筋の血管がせまくなってつまることのほかに、血液の粘りが増してかたまりやすくなることによっても生じます。

アルコールにはこの、血小板の凝集作用をおさえるはたらきもあります。このようなことから「少量の飲酒家が長寿である」という報告は、日本だけでなく外国でも多数報告されています。

したがって、「酒は百薬の長」という呑んべえのお題目は、立派に意味をもつことになります。ただし、それはあくまで「少量の飲酒」に限定される話でることをは忘れてはいけません。

アルコールは医学的には広義に「向精神薬」となっていいます。近ごろ話題になったコカインなどの麻薬も向精神薬なら、お茶やコーヒーのたぐいも仲間となってしまいます。

「鎮んだ状態にある精ふ神を賦活する物質」が向精神薬ですが、薬剤であれば、ふつうはいくらとるとどうなるという量で効果判定が可能です。

しかし、その意味あいからいうと、アルコールは向精神作用を測定するための基準がもうけにくい性質です。つまり、落語の「五升酒」に代表されるように、大酒を飲んでもシラフ同然の人ちよこもいれば、お猪口一杯で真っ赤になる人たちもいます。

飲酒には個人差がかなりあります。酒は向精神薬としてみた場合、どうしても定量化することができない側面があります。となると「少量の飲酒」といってみても、実際にはすこしも限定したことにならないということになります。

すなわち、酒はからだにとってよいものなのか害があるものなのかは、このかぎりでは判断できない。だから、なんのために酔うのかというこたえも、生理的カラクリにまでふみこんで考えないかぎりだせないのです。

人はなぜ酔いたがるのでしょうか?

古来より多くの人たちは酒を楽しんできました。ということは、やはり酒にそだけのメリットがあるからです。それでは、別の面から洒のもつメリットを考えてみましょう。

アルコールは、すぐれて文化的な産物です。名酒のあるところには、かならず古来から伝統的な文化があります。現在われわれが酒を楽しむことができるのも、その文化遺産のうえに成り立っているのです。

まさに「嘉会の好」で、それにともなって多くの文化遺産を残してきたのです。洋の東西を問わず、万余の文人が酒をことほぐ詩歌をつくり、酒好きの芸術家たちによって絵画が生まれ、歌舞音曲が酒席のかたわらで生まれました。

洒なくして人の世界は成り立たない。この面だけから考えると、酒はまさに文化そのものだといってよいでしょう。人もまた文化のなかに生きている。アルコール文化にかぎってみても、飲む人たちには、その文化をもたらす雰囲気にひたりたいと思う心情があります。

その奥にほのみえるのは、洒を飲む人それぞれの、その一刻一刻に浮かぶ人生や喜怒哀楽の断片です。やぶれた恋に泣き、子女の誕生を喜び、父母の病老を憂う… われわれが酒杯をあげるその一刻の思いには万感がこもるのです。むろん、アルコールをたしなまない人にも、多情多恨、それぞれの人生があります。しかし、飲兵衛たちは、ひとしく酒によって喜怒哀楽の感情がよりよい方向に増幅されることを知っています。喜びはたかめられ、怒りはしずめられ、哀しみは薄められ、楽しみはいやがうえに増すのです。

そのためにこそ、われわれは酒を飲むのです。われわれ飲兵衛にとっては、酒を飲むことは喜怒哀楽のよりよき増幅剤であり、いいかえると、いま生きているわれわれ自身、つまりアイデンティティの確認であるとも思えるのです。

しかしながらこの楽しみが永遠につづくという例は皆無です。たしかに、酒はわれわれの精神に興奮作用や鎮静作用をもたらしてはくれるのです。

しかし、過剰な摂取はてきめんにあだとなってしまいます。得られた快楽のうらには悪酔いの可能性もあるのです。翌日には二日酔い(宿酔)が身を責める。芳醇な香りと、舌にとろけてのちの全身をかけめぐるたとえようもない感動の味です。

この液体と人体のあいだには、つねに至福の境地と、一転して暗黒の境地におちいるあい矛盾した虚々実々の「駆け引き」があります。その矛盾を愛するのも、また人の不可思議なところといえるでしょう。人はなぜ酔いたがるのでしょうか、と問われれば、この矛盾を愛するためというのも、ひとつのアンサーといえるでしょう。

革命的な「火酒」の出現

ビールやワイン、日本酒などの醸造酒より、ウィスキーやブランデーなどの蒸留酒のほうが酒精度の高いことは周知のとおりです。
35度以上の蒸留酒は火をつけると燃えるのです。これを「火洒」( ハード・リカー/スピリッツなど) ともいいます。酒の文化はたしなみ程度にとどめる方向と、逆にただひたすら「重み」にむかう方向があります。

ただし、飲兵衛を自負するかたがたの場合は、もっぱら後者の方向が本道でしょう。

たとえば、飲兵衛のなかには、ビールは口すすぎがわり、本命はあくまで焼酎、ウィスキー、ブランデーと、濃度のより高い酒にシフトさせている人たちが少なくありません。このかたがたの志向はあきらかに火洒を求めてしまうのです。では、この火酒という存在はどう位置づけられるものなのでしょうか。

火酒そのものはヨーロッパでは中世から存在しました。アルコールの語源は「アル・クル」です。アル・クル本来の意味は、古代エジプトで女性用の化粧品として用いられた黒色のパウダー のことです。つまり、あのクレオパトラの眉目を際立たせたアイシャドーやまゆずみの原料として使われたものです。

それが、いつのころにか、まゆずみをとかす溶液の名称となり、やがては中世ヨーロッパにいたって練金術師の使用するところとなる。アルコールの蒸留法をあみだしたのも練金術師であり、彼らの手によってビールやワインから「アク・ビテ」(生命の泉)と呼ばれる液体が抽出されました。

火酒はもっばら薬用として使われる「秘酒」であした。これが日用飲料となったのは、17世紀にはいってからのことですが、最初の飲みて集団となっめいていたのは軍隊でした。

もっとも飲む兵隊たちにとって、毎日の支給量では酩酊するまでにはいたらず、一種の生理的・心理的な潤滑剤の役割をはたす程度でした。いってみれば薬がわりのものでした。だが、この火酒の出現は、それまでのビールやワインを主体としていた西欧の伝統的な飲酒文化を断ちきったという点で、まさに革命的なできごとでもあったのです。

たとえば、グラス1杯のウィスキーやジンのアルコール度はビールのおよそ10倍以上です。ということは、物理的には酔うスピードも10倍アップすることを意味します。

だから、あっというまに酔ってしまいます。酔いの効率化、スビトドアップ、安上がりと三拍子そろった火酒(蒸留酒)が、軍隊から一般市民社会にまで、たちまちのうちに広がったのもうなずけます。

この歴史は、とくに近代文明発展の象徴ともいうべき産業革命の英国において顕著となりました。「秘酒」アクア・ビテは、ジンに姿をかえ、産業革命を下支えする労働者階級にとって不可欠なものとなりました。

というところから英国では、火酒の出現以来、むろん酒豪も増えたではあろうけれども、実際には酔っ払いが増え、アル中が激増しました。

余談ですが、このジンが英国民にあたえた影響は、ウィスキーがアメリカンインディアンの文化にあたえた破壊的影響に匹敵するという説もあります。

十九世紀の英国にあって、エンゲルスは火酒(ジン)の出現に労働者階級におよぽす悲惨さを見、またカウツキーは火酒を民衆の敵とみなしました。

ところで、醸造酒と火酒を比較すると興味ある側面がみられます。原料となるアルコール濃度は、おのずと飲む人の絶対量を規定しているという話があります。醸造酒の場合、そのアルコール分は原料となる植物に含まれている糖分の量を超えることはありません。

たとえば、ワインやビールなどの醸造酒のアルコール分は、原料となる植物の糖分と同量ないしはそれ以下です。なぜなら、醸造という作業はあくまで原料からの糖分の絞りだしのみに限定されるためです。

一方、火酒(蒸留酒)のそれは原料となる植物の糖分量の限界を超えます。これは蒸留という作業が、一度醸造された酒そのものを原料としておこなわれるためです。

かりに5リットルのブドウから1リットルのワインがとれたとすると、ワインを原料にして1リットルのブランデーをつくるためには、もとのブドウに換算すると少なくとも15リットル以上を必要とする勘定になるわけです。

そこで、醸造酒だけを飲む文化では、あまりこのような度をすごす現象はおこらないともされています。

とくに日本酒の場合は、「オサケ(醸造酒) とは、まことに人間にとって不思議なたべもの」です。
たべものならば度をすごすこともありません。したがって、日本酒の場合だと、いかに「酒斗辞せず」という人であっても、かりに飲むこころでとったところで、一度に体内にはいる量には絶対量というものがあるではないか、というわけです。

ただし、近代文明の産物である火酒は、われわれ現代の日本人にとっても、知らずしらずのうちに日常生活のなかでとる洒の量を増やす方向に働いてしまいます。つまり、「酒豪度」を上げる方向、いうならば飲酒量の閾値を超えて飲ませる可能性をもたらしているわけです。

人類はサケをつくるサル

人が酒を飲むのはなぜかという命題をかかげて、ここまで「飲兵衛遺伝子」に行きつくところは、なんといっても、そこに酒という抗しがたい魅力をもつ液体があるためです。

人類はホモ・サビュンスであると同時に、よくホモ・ヴィニエンス(ワインつまり酒をつくるヒト属)、すなわち「酒をつくるサル」であるとも称されます。

古来より身辺に存在する飲食可能な物質のうち、洒の原料にできるもののほとんどを酒にしてきたヒトという種族にとって、この命名はまさにいいえて妙でもある。いま全世界で作られる、酒の種類はどれくらいでしょうか。

麦芽の澱粉糖化酒たるビール。米麹水を原料とする清酒に濁り酒。原料名そのままのブドウ酒。穀物醸造による黄酒、マッカリ、焼酎のたぐい。類縁をあげればウイlキー、ブランデー、ウォッカ、ジン、アクアビット、アラック、テキーラ、キルシュワッサー、ラム、その他、その他と無限につづきます。

ところで、われわれ日本人が酒を飲むようになったのはいつごろからでしょうか。一般的には日本の原始農耕社会で神道が成立発展した紀元前3、2世紀ごろ、弥生時代にまでさかのぽるとされています。

しかし、最近では、もっと古く縄文時代、という説もあります。いずれにせよ、人が集団生活をはじめたころには、すでに酒が存在していたことになります。

酒を摂ることには目的があります。ヒトは神々の加護を念じて祭りをおこないます。その際に神と人との仲立ち役として登場したのが酒です。

瑞穂の国日本ではコメの酒、すなわちドプロクがこうしとされます。ドプロクは天皇の酒として白酒、黒酒につながっていきます。

古代天皇制国家としてのヤマト王朝のオオキミたちが祭嗣したに新嘗祭は、新設のコメとそれから醸しだされるこの白酒、黒酒がハレの飲み物として重要なマツリゴトとされました。

日本神道のハレの行事に必須の飲み物であり、これがすなわち神前結婚の「三三九度の盃」のルーツでもあるとされています。

だが、現在のわれわれが酒を飲むのはハレの日だけではありません。そこで、無意識のうちにみずからの日々をハレ化しようとします。

すなわち、人に問われずとも数多の理由づけをおこなうのもそのためです。だが、酒を飲む目的は、それだけにとどまるものではありません。

たとえば、酒杯のむこうには、その一刻、その一日、のみならず過去や未来に飛び広がるゆたかな精神世界があるのです。たとえば、酒杯のおもむくところには、傷つき疲れた日々のストいやレスに対する癒しの願望があります。

また、ひそやかなよろこびを、たゆとみずからの心のたかぶりとともに昇華させたいとねがう心理もあります。これらの感情は、みずからのアイデンティティの確認であり、これまでみてきた命題のうらに流れるところでもあるでしょう。しかし、人の飲酒行動は前に述べた、たとえばアルコール代謝の個人差に代表されるように、生体にとっては飲む量が増えるにしたがって、それによってもたらされる害も多くなるのです。

問題のひとつは物理的肉体的な側面です。もうひとつは精神面への影響です。では、酒を飲むと、われわれのからだはどんな変化が生じるのでしょうか。
からだにおよぽす酒の影響にはさまざまな説がりますが、ここでは、医学書や生理学書にもとづいた部分を主張したいと思います。

しかし、酒によって引きおこされるからだの変化を説明する学説には仮説も多いんです。つまり、これぞ真実といいきっている説は意外に少ないのも事実です。実証されたものだけではなく仮説も織り交ぜて紹介していきたいと思います。